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坂戸西高校ソフトボール部卒業生からのメッセージ
平成17年度卒業生 Hさん(日高市立高麗川中学校出身)
私は中学からソフトボールを始めました。坂西には中学生への講習会があり何度か練習をさせて頂きました。坂西の先輩方はとてもかっこよく憧れでした。公立学校の中で坂西ソフト部は強く、上を目指すなら坂西しかない!!と思い進学を決めました。
練習は春休みから参加していました。中学の頃から体力には自信がありましたが、全く練習についていけず大変な思いをしました。しかし2つ上の先輩方は自分たちの練習もある中で、ゴロ取りの基礎など指導もしてくれました。憧れであった先輩方に指導をしてもらい、自分の中で先輩方一人一人が目標となってきました。
1つ上の先輩方は4人で自分たちは5人の計9人というギリギリの人数で毎日の練習をしていた日もありました。そんな時、自分はケガをしてしまいとても迷惑をかけてしまったことがありました。練習も他の4人に比べ遅れてしまいました。ケガが治るとすぐ試合に出なくてはならず・・結果はもちろん打てず守れずと、とても悲惨なものでした。そんな自分に先輩は「もっと自分の能力を生かせる事を考えなよ!」とアドバイスをしてくれました。自分の一番自信が持てる事・・・走ることでした。その日から打撃で「バントを極めよう!」と思い練習をしました。先輩方や外部のコーチの方々、相手チームでバントが上手な人などを見たり聞いたりしていき、少しずつ試合でも結果が出るようになり、バント以外でもできる事が増えていき、試合での打席がいつも楽しみになりました。
一つ上の先輩が引退してから自分は副部長をさせて頂きました。部長はピッチャーをやっていました。先輩もピッチャーで部長をしていてとても大変そうでした。自分は支えていこう!!と思うようになりました。実際は13人の後輩がいて部長にはピッチャーとしてがんばってほしいと思っているだけで迷惑をかけているばかりでした。でも、自分にできることはなんだろう?と考えていくうちに効率よく行動ができるようになりました。
引退してみると、坂西ソフト部での生活は、毎日が厳しく、何やってんだろう・・・?と思うことばかりでした。でも中学生では味わえない事、大人になってからでは遅すぎてできない事があることに気づきました。それが高校生活の部活動です。辛くて大変な練習も高校3年間が終わってしまえば、もう一度戻りたい・・・と思えるようになりました。
自分が坂西ソフト部で得た大事なことが3つあります。
1つ目は「諦めず努力すること!」途中で投げ出さず練習を続けていくことで結果は必ずついてくるという事。
2つ目は「感謝の気持ち」ソフトボールをしていく中でも尾上監督をはじめ保護者の方々、もちろん自分は母にとても感謝しています。試合を組んでくれる監督がいるから試合ができ、応援してくれる保護者はいるから試合をがんばろうと思え、汚れたユニフォームを洗いお弁当を作ってくれる母。「ありがとう」の一言では言い切れないほど感謝しています。
3つ目はかけがえのない仲間です。1人ではソフトボールはできません。9人の選手がいて応援してくれる仲間がいて始めて試合ができます。引退し卒業した今でも坂西ソフト部の仲間、保護者も集まったりしています。こんな経験ができたのは坂西ソフト部だからだと思います。
一度しかない青春の日々を坂西ソフト部で過ごしてみてはいかがでしょうか?
平成17年度卒業生 Oさん(鶴ヶ島市立藤中学校出身)
私が坂戸西高校に決めた大きな理由は、部活動です。私は中学校の頃、ソフトボール部に所属していました。坂戸西高校は公立高校でも部活動が盛んで、県大会はもちろんインターハイ出場を目指して活動しています。私は「公立高校で上を目指すなら坂戸西高校だ。」と思い、入学しました。
入部した当初、私は先輩たちと自分達の体力、技術の差に驚きました。一日でも早く先輩たちに追いつこうと一生懸命練習をしましたが、思った以上の練習の厳しさに何度もくじけそうになりました。でも先輩たちが優しく声をかけてくれたり、仲間が支えてくれたので乗り越えることができました。
3年生が抜け、チームは9人という厳しい状況になりました。ソフトボールは9人で行うスポーツです。1人でもケガをしたり休んだりしたら、試合には出られないというプレッシャーと戦いながらやってきました。9人では大変なことがたくさんありましたが、少人数だったため、まとまることができたと思います。一生懸命に活動していたお陰で、新1年生が13人入りました。そして4人の先輩が引退して、今度は私たちがチームを引っぱっていく番になり、私は部長としてチームをまとめていく立場になりました。9人の倍の18人をまとめていくのは大変でしたが、その度に先生や先輩がアドバイスしてくれました。また互いが「切磋琢磨」しながら練習することができたと思います。その結果、県大会3位となり、東日本大会初出場という大きな切符を手にすることができました。それは試合に出ている選手をはじめ、ベンチ、今まで応援してくれた保護者が1つになり一致団結できたからだと思います。このことは今でも忘れられません。
そしてこの東日本大会では、私は試合中にケガをしてしまい途中で試合に出られなくなってしまいました。どんなに厳しい練習より部長として試合に出られないことは、私にとってもチームにとっても、大きく成長する場を与えてくれました。
また顧問の先生は技術だけではなく生活指導にも力を入れており「目配り・気配り・思いやり。」をモットーに精神面の向上を大切にし、指導してくれました。私は部長としてチームをまとめていく大変さを知り、感謝の気持ちを持って生活することの大切さを学ぶことができました。
このように私は坂戸西高校で部活動をはじめ、いろいろなことを学び、多くの人に出会い、人として一周り大きく成長することができました。私の高校生活はとても充実しており、悔いのない高校生活を送ることができたと思います。そして今、私は坂戸西高校で身につけた部長としての経験がいかされる進路に向かって努力している最中です。
みなさんもぜひ、自分にあった高校を見つけ、自分の夢に一歩でも踏み出せるよう頑張って下さい。
平成16年度卒業生 Fさん(坂戸市坂戸中学校出身)
私の高校選びの基準で、最もウェイトを占めたのが部活動でした。ソフト部への入部を希望していた私は、ソフトボールが盛んな公立高校で頑張りたいと思っていました。公立高校の中でも、坂戸西高校は地元ということもあり、中学の先輩がいたり、中学校時代から練習試合をしていたこともあり、親しみを感じていました。
私はできるだけ早く、高校の部活動に慣れて、1日でも早く先輩に追いつきたいという気持ちもあったので、顧問の先生に申し出て春休み中から、練習に参加させてもらいました。始めの1週間くらいは早めに練習を終え、早く帰宅をしましたが、練習内容は先輩達とほとんど一緒で、高校での部活動というものになかなか慣れなくて、はじめは大変でした。
だんだん練習時間も長くなり、最初は優しく迎えてくれた先輩達や顧問の先生も、練習での要求が厳しくなってきて、1年生の時は、本当に辛くて辞めたいと思うことが多々ありました。練習時間が長く帰りが遅くなったり、「あんなに練習しているのに技術が伸びないのはどうして?」と思うと、一時期はあんなに大好きだったソフトボールを嫌いになっている自分がいました。一緒に入部した部員全員が辞めたいと、顧問の先生に相談したこともありました。でも「ソフトボールがやりたくて坂西を選んだのに本当に辞めてしまっていいの?」とか「みんなで辞めてしまったら、一緒に頑張ってきた先輩やチームメイトに迷惑がかかるのではないか?」と思いました。そして、何よりも辞めてしまって後悔したくないという気持ちが強かったので、続けることができたのだと思います。
そんなこともありましたが、相変わらず練習は厳しかったのですが2年生になる頃には、ソフトボールを心から楽しんでできるようになりました。そして先輩が引退し、今度は自分達が先輩として、部活動を成り立たせる番がきました。しかし、そのときの部員は何と、たったの9人という厳しい状況でした。その中で私はキャプテンとなりチームを引っ張っていく立場になりました。ソフトボールは9人で行う競技なので、全員がレギュラーということは1人欠けても試合が成り立ちません。軽いケガや体調が多少悪くても、仲間のことを思うと練習を休むことなんてできませんし、キャプテンとしての責任もあります。1年生の時の辛さとはまた違う辛さがありました。でも少人数だったので一致団結することができ、試合では練習の成果があげられました。
ソフトボール部の顧問の先生は、技術だけでなく生活指導にも力を入れており、「目配り・気配り・思いやり」をモットーにして、精神面の向上を大切にし、私達に指導してくれました。キャプテンになった当初、私は「目配り・気配り・思いやり」が全く足りず、悩むことが多かったです。しかし顧問の先生がその度にアドバイスしてくださったお陰で、キャプテンとしての自覚を持ち、チームをまとめる重要さがわかってきました。1年生が入ったこの4月からは人数も増え、チーム内での競争もでき更に活気付いた練習ができるようになりました。散々苦労をしましたが、このキャプテンとしての経験があったから私は精神的に大きく成長できたのだと思います。
このような部活動をしていく中で、私には「実業団でプレーしてみたい」という目標ができました。顧問の先生に相談したところ、実業団の試合見学や練習の参加に協力してくれて、応援してくれました。そのお陰で4月から実業団のある会社に入社し、実業団の一員としてソフトボールも仕事としてできることになりました。
私はこの 3 年間、何度も部活動を辞めたいと思ったことがあったけれど、この坂戸西高校のソフトボール部に入り、部活動を続けていて本当によかったと思います。目標としていた実業団に入ることができたし、何より精神面が強くなり自分に自信が持てるようになったことが大きな成果です。
皆さんも、自分に合った高校を見つけ、自分のやりたいことができるように、是非頑張ってください。
坂西ソフト部父母会員からの投稿
長女が坂戸西高校でソフトボールをやりたいと言った。
「あ、そ。いいんじゃない。やりたきゃやれば・・・。」そんなノリだった。
自分は、たいして子煩悩でもないし、子どもの進路先をあーだこーだ言うほど教育熱心でもないので娘が自分が決めたんならそれでいいだろう、位にしか思っていなかった。登校拒否なんかにならずに元気に楽しい高校生活を謳歌してくれればそれでいい。自分の将来をしっかりと見据えて社会に貢献できる人間に、いや、そこまでおこがましいことは言わない、人様に迷惑をかけることなくしっかりと自立して生きていってくれればそれでいい、という程度の自分なのだ。
そんなレベルの自分にとって、娘が入部した坂西ソフト部はまさに驚きと戸惑いの連続だった。
最初の素直な感想は「たかが子供の、高校の部活だろう!?なんでそんなにみんな一生懸命なんだ?」ということだった。選手が一生懸命やるのは当たり前とは思うが、それと同様に保護者が一生懸命なことにまずは驚いた。これは入部したての頃にはほとんどの親が感じることで自分だけがそう思ったわけではなかったらしい。
ところが、この思いが卒業するころにはすっかり変わっていくのだ。
引退して関わりが薄れていくことに妙な寂しさを感じる自分がいる。
全くつまらないものならおそらく誰もそのような心境の変化は現れないだろう。
そこに何の魅力があるのか。
特に子煩悩でもない自分だがいつの間にか引き込まれていったのは、やはり子供たちのひたむきさだろう。とは言っても、それは必ずしもかっこいいひたむきさということばかりではない。ソフト部は坂西のどの部よりも練習が厳しい。当然帰りも遅い。娘は毎日の監督の叱咤激励に涙し、ぐちぐち文句を言っている。中学の部活はあれは遊びだった、早く引退したい・・・辛くなるとそう口走る。夕食の箸を持ったまま寝てしまうのはよくあること。なかには帰ってきて玄関で寝てしまったという子供もいる。弁当箱も洗濯物もその辺に置きっぱなしだ。この状況の善し悪しは別にしても時々感じるのは、はたして自分が高校生の時にこれほど一生懸命毎日を生きていただろうか・・・と、逆に自分の至らなさを思ったりもするのである。
そんな娘たちに「応援に来てほしい」と言われて「行かない」とは言えなくなってくる。グランドに行けば「今日のあれはこうだった」「あの子のこのプレーがすばらしかった」と共通の話題ができる。一番難しい年頃の娘と話をする機会は年々減っている時に共通の話があるということはとてもいいことだ。少なくても父親のパンツを箸でつまむようなことにはならないようである。こういうことはお金では買えない。遠征費がかかるのも確かだが、それに代わる何かがあると思ってくる。
時に監督は保護者にも叱咤激励してくれる。
監督がよくお話しされることは「家庭環境や毎日の生活態度がソフトボールへの姿勢にもつながり、それが技術の向上にもつながる」ということだ。
坂西ソフト部は監督と保護者の会話がいたる所で見受けられる。場合によっては親が監督に対して意見をすることもある。
それは坂西ソフト部の一つの大きな特徴でもあるようだ。スポーツの強豪チームの中には保護者と監督は一線を引き、監督と話せるのは保護者の代表だけ、というところなどもあるようだが、坂西の監督はあえて保護者とコミュニケーションをとりたい、と語る。「ハートが大事」と。
いろいろな見方、考え方があると思う。
高校生の子供に親がどこまで関われるかは人それぞれだろうし、その内容も様々だろう。
子供が自ら決めたことを貫いていけるようにサポートしていくのも親の役目のひとつと、改めてわかったように思う。
娘が坂西ソフト部に入部したことで自分も少し成長できたのかもしれないと思う今日この頃である。

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